今日は、「あそ」で豊肥本線を越える。天気が悪いので阿蘇山は見えないだろうが、3段スイッチバックなどめずらしいものがいっぱいの路線でもある。まずは、駅で土産物を買いこみ、熊本駅の定番、地鶏メシを購入してから、「あそ」のホームへ向かった。まだ「あそ」は姿を見せておらず、「有明・小倉行き」が停車していた。有明が出発すると、博多方から185系の「あそ」が入線してきた。編成を見ると、旧グリーン車の車両が見当たらなかった。そして、自由席の2両が木目調にリニューアルされていた。普通は指定席をリニューアルするはずなのだが…。指定席にもかなり乗り込み、8時26分に発車した。
次の平成駅で対向列車の行き違いで、停車。しかし、相手の方が遅れている為に、3分遅れて発車した。次の水前寺や肥後大津でかなり乗りこみ、指定席もかなり席が埋まっていた。肥後大津を出て、非電化区間に入ると、一気に町並みが消え、山がだんだんと迫ってきた。9時07分立野に到着した。ここからスイッチバックである。1面2線のホームには、南阿蘇鉄道の車両は見えなかった。すぐに立野駅を離れる。運転手は、後ろを見ながらマスコンを操作していた。スイッチバックを登りきり、しばらく走ると、赤水に到着。ここには、肥後大津行きの普通が停車していた。乗客はほとんどいなかった。「あそ」が先に出発した。ここから平坦になったのか、スピードが上がってきた。9時29分阿蘇駅に到着した。しかし、降りていく客が指定席から見る事がなかった。逆に乗りこんでくる客があった。すぐに宮地に到着。ここには、SLあそBOY用の転車台があった。
宮地を発車すると、外輪山越えが待っていた。スピードも遅くなり、運転手のいる乗務員室はカーテンで閉ざされていた。トンネルを抜けると、はるか高くまで来たかのように、阿蘇の町並みが見えていた。しかし、木から出る一瞬しか見えないため、写真に撮る事が出来なかった。かなりの時間をかけて波野駅を通過した。ここは、九州で一番高い所にある駅である。ここで、運転停車してくれたら…。といつも思うのである。あとは、少しずつ高度を下げていった。豊後竹田、三重町では、乗りこんでくる客もいた。しかも指定席に乗りこんでくる客もいたのには、少し驚いた。やはり保険は必要なのであろう。三重町を過ぎ、中判田あたりまでくると、山が次第に途切れてきて、大分の町が広がり出した。そして、11時07分大分に到着した。
本当は、すぐのソニックを考えていたのだが、白いソニックだった為、次のソニックに乗る事に決めた。やはり、ソニックは、白いのは邪道といつも思ってしまう。時間が少しあるために、土産物屋を物色する事にした。適当に時間をつぶし、ソニックの乗り場へ向かう。丁度ホームに着くと、883系ソニックが到着した。ブルー色の7両編成であった。グリーン車は二人しかいなかった。11時43分定刻通り発車した。
さきほどの「あそ」に比べるとすごく速い。すぐに別府へ到着した。ここでもグリーン車には乗りこんでくるのかと思っていたが、乗りこむ客はなく、指定席の方へと流れていった。杵築や宇佐で、グリーン車に乗りこむ客がいた。短距離利用なのか分からないが、リッチである。と言いながらも豪遊券を使っていたら、当たり前のような乗車の仕方なのだが…。小倉から方向転換し、前面展望になるパノラマキャビンへ行くことにした。運転室には、見習い運転手が乗務して、ベテランの人二人が後ろで注意などをしていた。さすがに、緊張した運転である。なかなか130キロと言う数字を見る事がなかった。きびきびとした動作が頼もしかった。博多の手前、香椎駅に到着した。ここで、乗りこんでくる客がいた為、車掌が案内をしていた。ここから乗るとは、豪遊券などのフリー切符を使っているものの仕業に違いない。13時59分博多駅に到着した。これで、今回の「ソニック」の旅は終わった。
すぐに、787系の「つばめ」のホームへ向かった。時間があまりない為に、席に落ち着いている事にした。グリーン車はかなり混雑をしていた。結構埋まっていた。14時05分発車した。「つばめ」最後の旅である。発車してしばらくすると、客室乗務員からのサービスが始まる。よくみると、一昨日に乗った客室乗務員の人と同じであった。今回が最後となるために、八代まではこの座席から動かずに、しっかりと乗り心地を味わおうと思った。そのため、ビュッフェには、八代発車時から行く事に決めた。
「つばめ」は快適に進んでいたが、熊本の到着直前に、ブレーキがかかり、途中で止まってしまった。急停車ではなく、駅に停まるような感覚でのブレーキだったので、信号停車かと思っていた。しかし、事態が変わったのは、車掌の案内放送だった。走行中に猫をひいたという事であった。確かに、停車する前に、何かを踏んだような感じがしたからだ。車掌は外に出て、調べに行き、運転手は窓から後ろを眺めていた。そのときに、上り列車の「有明」が通過していった。上りの方は、抑止されていなかったのか?少し危険だと思っていたが、下りだけが遅れたようだ。そして、しばらくたってから猫の死骸を発見したと言う放送が流れた。幸い猫だったために、すぐに発車した。熊本には10分遅れて到着した。
慌しく引き継ぎを行った運転手が乗りこむとすぐに発車した。今度は、遅れを取り戻すかのように飛ばし始めた。130キロを維持して走っている感じだ。宇土の辺りでは、高架橋の工事をしていた。何かと思ってみていると、九州新幹線の工事であった。八代以北でも工事が着手されていたのだ。そして、八代に近づく頃、新幹線の新八代駅が見えてきた。かなり出来てきた感じだ。しかし、駅の周りには何もなく、畑や田んぼが広がっていた。民家も少し離れた所に点在していた。新幹線へ向かう、築堤もだいぶ出来つつあった。あと2年後である。どのようになるのか分からないが、新八代駅は単なる乗換駅と言う感じで終わりそうである。町並みが広がってくると、八代駅に到着した。ここで9分の遅れとなった。すぐに出発する。
八代を出たので、ビュッフェに行くことにする。しかし、この遅れが回復しなければ、次に乗る「きりしま」に間に合わなくなるので、一応、車掌に聞いてみる事にした。すると、接続すると思うと答えた。この時点ではまだ決めていないようだった。ビュッフェに入ると、かなりの先客がいた。やはりビュッフェ終焉が響いているのであろうか?日奈久を過ぎると海が見えてきた。ビュッフェで見る最後の八代海である。しかし、八代海も東シナ海もきれいに見えなかった。今回は、ビールに焼酎にちゃんぽん酒をした。氷までもらい、焼酎もきれいに飲み干した。もちろん今までになかったつまみも全て制覇した。水俣の手前で新水俣駅の新幹線ホームが見えていた。ここも、何もない所に駅があるという感じである。
水俣、出水と乗りこんでくる客が多かった。出水では自由席に座れなかったのか?子供たちがビュッフェに入ってきた。よくみると、ビュッフェにあるテーブルが全て埋まっていた。出水駅の新幹線工事を見ると、「八代〜鹿児島35分」の文字が見えた。現実に35分になると、2時間半もあれば、鹿児島に着けるという事である。ものすごい速さである。阿久根辺りから、臨時停車が多くなった。さすがに遅れを伴うと肩身が狭くなる。車掌がまわって来て、疲れた表情で「きりしま」に乗る乗客数を数えていた。人数が誰もいなかったらどうなるのであろうか?少しだけ心配をしていた。薩摩高城でも臨時停車。ここから先は海が見えなくなるので、海岸線が離れてから、ビュッフェに別れを告げた。川内に着いてから、景色が見えなくなった。夜が支配し始めたのである。
川内を過ぎてから、「きりしま」が接続する事を放送していた。さすがに人数は多くなくても、接続列車として機能してくれなければ…これで予定通りになり、安心して、景色を眺めていた。串木野、伊集院と停車して、10分ほど遅れて西鹿児島に到着した。
すぐに「きりしま」の発車案内が流れた。一番前から一番後ろの車両へ行くのには時間がかかるため、先頭車から「きりしま」に乗りこんだ。この時間の「きりしま」は485系の5両編成であった。自由席も結構空席があった。2号車の指定席は全く誰もいなかった。無人の車両であった。1号車のグリーン車にたどり着くと、まもなく鹿児島駅と案内していた。グリーン車が誰もいなかった。期待していた0系グリーン車の転用シートではなかった。ちょっとがっかりしながらも無人のグリーン車でくつろぐ事にした。鹿児島では、下り列車行き違いの為、また遅れた。しかも夕方のラッシュなのか、高校生をたくさん乗せて西鹿児島行きの普通は発車していった。しばらくして海岸線に出て桜島が見えるはずなのだが、暗くて何も見えなかった。また予想していた通り、車内販売がなかった。飲料サービスがないのはやはりショックである。
遅れを取り戻そうとするのだが、運転停車が多く、なかなか縮まる事がなかった。加治木、隼人、国分を過ぎると、だんだんと町並みが消えていき、山岳越えに入った。そうなると、景色もろくに見る事がない為、ゲームボーイで時間をつぶした。今まで、ソニックやつばめに乗っていたせいのか、「きりしま」はのんびりと走っているという感じだ。霧島神宮駅に着くと、山間の駅といった感じだ。そして、山が途切れ、都城市街が見えてきた。こうなると、景色も見える。西都城に着こうとしたとき、また信号停止を食らった。今度は、3分も停車しており、どうなっているのかわからなかった。さらに遅れを増して、西都城駅に到着した。ここには何も停まっていなかった。一体なぜ止まっていたのであろうか?
都城を出ても山岳路線となる、青井岳では、普通列車と特急列車の行き違いでさらに遅れを増していった。この区間は距離が長い為、仕方のない事だが、やはり遅れた列車は肩身が狭い…。田野を過ぎると、市街地が広がってきた。宮崎に来たのだ。清武に停まり、スピードも上がってきた。そして、定刻より10分ほど遅れた、20時13分に南宮崎に到着した。降りる客が少なかった。全体的に少ないから仕方がないのだが、3両編成でも充分のような感じがした。
南宮崎駅には、23時過ぎに戻ってきた。まだ日南線から来る普通列車が遅れていたようだ。電光板にまだ点いていた。まだ時間があったので、フラフラしていると、13日のドリームつばめで一緒だったマニアがいた。しかもマニアは、12日のグリーン券を持っていたはずなのに、なぜ15日にもいるんだ?とすごく不思議で仕方がなかった。余計な催促は無視して、23時15分くらいになって、「ドリームにちりん」に入れるようになったと案内があり、すぐに改札を抜けた。783系の5両編成であった。さすがに、南宮崎からは乗りこむ客は多くなかった。さすがにハイパーサルーンのグリーン車は、ワイドビュー並の窓の高さになっており、この点だけは合格である。
結局、ドリームつばめにいたマニアだけがグリーン車に乗り込んだだけであった。
西鹿児島から来た普通が到着すると、すぐに発車となった。大淀川を渡り、すぐに宮崎駅に到着した。ここからでもグリーン車に乗りこむ客はなかった。すぐに発車した。しばらく進むとシーガイアのホテルが見えてきた。このあたりは時速110キロで飛ばす。高鍋辺りの海岸線も暗くて見えないため、ここでもゲームで時間をつぶし、延岡を発車するまで時間をつぶした。途中、日向市でグリーン車に一人乗りこんできた。結局これだけで乗車率は増えなかった。
延岡を過ぎると、急に速度が遅くなった。これを機に寝る事にする。うつらうつらとしていると、まもなく大分、の表示があった。時計を見ると2時40分になっていた。急ブレーキがかかり、停車した。先ほど乗った「つばめ」と同じ状況になっている。ひょっとしてまた動物をひき殺したのか?と考えてしまう。車掌が外へ飛び出し、確認をしに行った。ここでも10分くらい停車して、出発した。今回は原因が分からないが、なにかをひき殺したのであろう。しかし、大分の長時間停車があるため、すぐにダイヤは回復した。出発すると、一人の男が車掌室に入っていき、何かあったのか?と聞いていた。そのまま大分に停車しているときに眠った。
行橋の手前で目がさめた。どうやら定刻通りは知っているみたいだ。スピードもかなり速く、前回のようなのんびり運転はなかった。5時25分小倉駅に停車した。ここから進行方向が変わる為に、確実に目が覚めてしまった。小倉からもグリーン車に乗る客はいなかった。スペースワールドの辺りから、だんだんと明るくなってきた。そして、まだ覚醒しきっていないなか、6時19分、終点の博多駅に到着した。これで、九州のグリーン車の旅が終わった。ショックを引きづったまま、新幹線ホームへと行く。